はじめまして、かんのFP事務所代表の菅野です。
昭和41年生まれ、東京出身で松戸に自宅を購入して20年以上在住、家族は妻と子供二人です。
私は金融業界に30年以上在籍している経験と知識と自分自身の自宅の購入や子育て、資産運用の経験を活かし、住宅購入や資産運用、保険などそれぞれで考えるのではなく、最も効率的にお金を使ったり貯めていく方法を提案しています。
特に、これから自宅を購入する方は、人生で初めての多額の商品の購入を前に教育資金や老後資金を含めて、返済が可能か不安になると思います。そのような方の不安を取り除き、ご家族が豊かな生活をするための支援を行っています。
このページでは、なぜ私がFPの仕事をしているのかをお伝えしたいと思います。
バブル期に都市銀行に就職
私が最初に就職したのはバブル絶頂期の平成元年に人気のあった都市銀行でした。
銀行に就職したのは、大学時代に就職先を考えたときに特にやりたい仕事が見つからず、とりあえず当時花形といえる業種への就職を考えましたが、過去を振り返って見ると以前花形であった業種は今は衰退していると気づき、将来性のある企業への就職を考えたからです。
しかしながら大学生の立場で将来性のある業種や企業を見抜くことは出来ないと思うに到り、それでは様々な業種をお客様に持ち、当時給与も高いと言われていた銀行に就職すれば、将来転職する事になった場合、将来性のある業種や企業に転職出来るのではないかと思い銀行を希望したのです。
ちなみに当時は終身雇用が当たり前で永久就職するつもりで入社するのが一般的でしたが、私はいずれ時代が変わり転職するのが当たり前になる時代が来る可能性があると考えていました。
融資や預金、住宅ローンに深く関わる
銀行では、当時新店舗をどんどん作っている時で中堅社員が新店舗に配属される関係で、半年ほどの研修を経てすぐ営業に配属されました。その後約10年の間、西葛西支店、七条支店(京都)、方南町支店、明大前支店で個人から中堅企業まで多くのお客様を担当し、融資や預金、住宅ローンに関わっていました。
私の仕事のスタンスは入行当時から「お客様の役に立つ」ということでしたが、入行当時はバブル経済の絶頂期で、銀行はお客様に必要以上の不動産やゴルフ会員権など投資案件を紹介して購入してもらうなどして貸出額を増やすことで収益拡大を図り、営業は貸出額の多寡で評価がされていました。その結果銀行がバブルを膨らませる要因を作ったと思っています。
幸い私は平成2年4月頃から仕えた支店長が、他の支店長と異なり不必要な投資を促すような案件を嫌い、真に顧客に貢献する「王道」の営業を推進していたことから、顧客に貢献するための地道な知識取得や情報提供に努めることが出来ました。
銀行員としては経験も浅いこともあり大きな成果には繋がりませんでしたが、バブル崩壊で顧客に損失を与えることもなく、その後のベースが出来たと支店長には感謝しています。
バブル経済は、平成4,5年頃から崩壊が明確になり、銀行の不良債権の増大や不祥事も多発したことから、私が所属していた銀行も原点に返り「顧客指向」に変換していきました。私としてもその流れに乗りお客様のためにお役に立つ銀行員を目指して奮闘し、しばらくは良い環境が続いていました。この当時は、充実感を持って仕事をすることができていたと感じます。
生命保険業界に転職
ところが、平成9年~10年の金融危機から銀行に顧客指向という余裕がなくなってしまったのです。
今まで融資をしていた企業に対して融資を行わない「貸し渋り」が常態化してしまっており、顧客のために仕事をしているという実感が得られない状況に陥りました。
そんな中、生命保険業界へのお誘いがありました。
当時生保の販売はまだ従来の日本の保険会社の女性の募集人が主流で、お客様の無知を利用して、顧客にとって無駄で効率の悪い保険に加入させるような状況でした。
その状況を見た私は、銀行時代に経験した経験や知識を活かし、お客様にとって良い保険を提供しながら、顧客指向で長いお付き合いができるようになりたい考え生命保険業界へ転職をしたのです。
銀行で学んだ知識を活かし最適な保険を提案
生命保険会社に転職してからは、まず知り合いに保険の見直しの提案をすることから始まり、知り合いから知り合いを紹介して頂くことで生命保険を販売していました。
当時はまだお客さまのニーズに合っていないにも関わらず保険料の高い従来の日本の保険会社の保険に加入している方も多く、見直しすることでお客様にとってメリットのある保険販売をすることが出来、成績もトップではありませんでしたが社内で表彰される程度の成績を収めていました。
生命保険会社に在籍して7年ほど経つと、外資系生保や損保系生保など各社が男性募集人によるコンサルティング営業が広まり、紹介も得にくくなったことから、自発的に居住地の松戸の地域情報誌に「生命保険無料相談会」の広告を行うようになりました。
その相談会は多くの方に利用をして頂き人気になったのですが、その時に乗り合い代理店(複数の保険会社を取り扱う保険代理店)への転職の話があり、これからは乗り合い代理店による中立的な保険販売が主流になると考え転職しました。
乗り合い代理店に転職して多くの保険会社の保険が扱えるようになったことで、同じ保障内容であればより安い保険会社のご紹介が可能になり、また、資産運用の要素が強い外貨建て一時払いの保険など今まで取り扱えない保険も提案することも可能になり、銀行時代で学んだ為替相場や金利の知識や経験を活かすことができ、お客様により喜んで頂けるようになりました。
総合的な相談を行うFP事務所を設立
転職前から取り組んでいた「生命保険無料相談会」でも1社専属ではない中立的な保険提案が喜ばれ当初は順調でしたが、この頃から同じ乗り合い代理店の保険ショップが全国で急増し始め、お客様の認知も急速に広まり、私の地域情報紙での「生命保険無料相談会」への申込も減ったことから3~4年ほどで開催を終了しました。
その後、元々銀行時代の経験や知識を活かしお客様の様々なお金の悩みを解決するお手伝いをするファイナンシャルプランナーの仕事をしたいと考えていましたので、まずはご縁のあった住宅ローンのコンサルタントをしていた方と提携して、2011年頃からお客様の住宅ローンの見直しのコンサルを始めました。
更に2014年には自宅兼事務所の「かんのFP事務所」を開設し、住宅ローンや住宅購入、保険、資産運用、ライフプラン作成など総合的なアドバイスをするFPとしての活動を開始しました。
長期的に真の利益になる提案
住宅ローンについては、長年の金利推移を直接見てきた経験、金利変動の仕組みや最近保障が充実している団体信用生命保険の上乗せ保障の解説などが分かりやすいと喜ばれています。
また、将来の返済計画まで具体的に考えることで、「将来、もしかしたら返済できないかもしれないという不安をなくすことができました!」という喜びの声を多く頂いています。
生命保険会社に転職した当初から、一生涯の死亡を保障してかつ貯蓄性がある終身保険については貯蓄性の部分を投資信託のように運用する変額保険を主に提案して来ました。
当時は通常の円建ての終身保険の条件も悪くはない状況でしたので、あえて運用リスクのある変額終身保険を提案することは非常に手間のかかる事でしたが、長期的には資産運用の結果が良くなること、これからは日本人にも資産運用が必要な時代が来ると思い、円建ての終身保険より保険料が安く加入しやすい事を活かして提案を行い多くの方にご加入頂きました。
その後リーマンショックも乗り越え高い運用実績となっているため、保険料が安い上に死亡保障額・解約返戻金ともに増え、当初想像した以上の結果となり、あえて難しい資産運用型の保険に取り組んだことは正しかったと自負しています。
現在では以前と異なり巷では変額有期保険の販売が多く行われていますが、変額保険より直接投資信託を購入する方がコスト的に有利であること、投資に対する関心が高まっていることから、私は変額保険より投資信託での運用をお勧めしています。
先日、20年前に変額終身保険の加入と同時に投資信託による積立をお勧めして実践されたお客様と話す機会があり、投資信託積立の成果を聞いたところ「菅野さんのアドバイスのお陰で20年で1000万円以上の収益を得ることが出来た」と話して頂きました。
このお客様のように10年後、20年後にアドバイスを実行して良かったと言って頂くことが目標で、相談者様にとって直ぐに結果が見えなくても長期的に真の利益になる提案をこれからも続けて行きたいと考えています。
一生涯お金に困らない知識を提供します
長引く日本経済の低迷で給与水準が伸び悩む中、少子高齢化で年金支払いの実質的な低下も見込まれ、従来のような「真面目にコツコツ働けば一生涯お金の心配なく生きていける」という時代はなくなっています。
限られた収入の中でマイホームや教育資金、老後の生活費や介護に備えた費用を賄うためには、資産運用が必要となり、国もイデコやNISAなど制度を揃え推奨しています。
また、住宅ローンや生命保険、資産運用をそれぞれ考えるのではなく総合的に考え、無駄な出費を押さえつつ資産運用をしていくことがこれからの時代には必要です。
こういった時代の中でも、一生涯お金に困らない為の知識や計画の立て方を、銀行や生命保険会社、保険代理店など金融業界30年以上で蓄積した幅広い経験と知識を活かし、総合的な視点からこれからも提供し続けていきたいと考えています。